5年ほど前までは、派手な花が好きだった。 バラやラナンキュラス、ガーベラのような、一本で主役になれる花。 でも今は、「お花屋さんで買ってきた」というより、 「野原で摘んできた」というような趣の花のほうに好みが傾いている。 たとえばセツブンソウ、…
「移動すること」が苦手で、それはおおかた乗り物酔いをするせいだ。 自家用車、バイク、バス、電車、飛行機、そして船。 身近にある乗り物のおよそすべてに酔う体質で、 しかも一度酔ってしまうと、乗り物から降りてもその日じゅうはずっと気分が悪い。 酔…
道を覚える、ということがどうにも苦手で、 一度行った場所に二度と辿り着けないことがよくある。 たいてい、ひとりで歩いているときに偶然見つけた場所で、 記憶を共有する証人がいないものだから、 時間が経つにつれて、本当にあった場所なのかどうかすら…
ここ数日、20度超えの暖かい日がつづいた。 まだ2月だというのに。 なんだか、太陽と月とが同時に出たような、 夜に真昼みたいな光に照らされているような、 どこか落ち着かなくて、後ろめたいような気持ち。 きょうになってようやくこの時期らしい気温に戻…
ねえ、大きくなったら何になりたい? こどものころ、幾度かそんな問いを投げかけられた。 この国で「成人」とされる年齢を超えて久しい今、 その問いを投げかけられることは、とんと無くなった。 では、成人という区切りを迎えた後は、もう「大きく」なれな…
いま私が修復している、海の見える小さな家では、 「紅茶の間」と「緑茶の間」をつくろうと思っている。 家の中の場所に名前をつけるとき、 「〇〇をするための場所」ではなくて「〇〇のある場所」となるように名付けたい。 DO定義でなくて、BE定義。 前者の…
高畑勲さんが生前、インタビューの中で 「東京の街がいつまでたっても美しくならないのは、 東京を美しく描く画家がいないからだ」 といった趣旨のことを言っていた。 画家が描き出す街。 それはもちろん、現実の街に似てはいるけれど、 普段私たちの目に映…
見た瞬間に心が反応する絵、というものがある。 たとえば美術館の片隅で、 たとえばたまたま手に取った画集をぱっと開いたその瞬間に、目が合う絵。 でもそれは、よくよく分析してみると、 なつかしさ、つまり記憶に結びついているものだったり、 好みのモチ…
何度でも読みたい小説、というものがある。 間をおいて読み返すにせよ、何度も繰り返し読んでいるから、 当然筋は頭に入っている、結末もわかっている。それでも何度でも読む。 それはひとえに、その本の中の世界に遊びたいからだ。 こういう考えは、いわゆ…
御前は果たして美しさのために死ねるかと、 日々問われているような、そんな心持ちがする昨今である。 追えば追うほど何処にあるのか皆目検討もつかなくなり、 いままでやってきたことすべてが無駄、むしろ逆方向に走ってきたように思え、 絶望してごろりと…
ここに書かなかった間の日々は、いったいどこへ行ったのか? 私はたしかに、ひと月ぶんのパンとミルクティを消費して、 半月ぶん、いつもの眩暈に悩まされ、 月は欠け、満ち、そしてまた欠けた。 一体これらの日々はなんだったのか? そしてこれからも続いて…
起きぬけに、ミントミルクティを淹れる。 風変りだけれど優しい味は、昨夜読んでいた作品の余韻。 作品の中の世界と、自分のいる世界とを結びつけるのが好きだ。 たとえば、ホットチョコレートを飲むときは、 エンデ『モモ』のあの朝食の場面を読み返すし、 …
最初の記憶は何ですか。 そんな質問を受けて、ふと考えこんでしまう。 最初の記憶。 そう言われて思い浮かぶのは、 当時住んでいた家の門前道路で、ひたすらぐるぐる回っている私。 どうにも奇妙な記憶で、 今後幾度も自分はこの一瞬を思い出すだろう、 など…
ようやく暑さがやわらいで、夜風がすずしい日が続くようになった。 季節が刻一刻と目の前で移り変わっていくとき、 いつもよりすこし、自分の身の周りのことを意識する。 数歩先の未来や、置いてきた過去のことではなくて、 いま、ここ。 今日は食器棚を整理…
こどものころ、 「今わからないことも、きっと大人になったら全部わかる」 と思い込んでいた。 当時は、自分の外側に、大きくて絶対的な「正解」があるのだと思っていて、 大人を、そういう「正解」を知っている存在と見做していた。 うん、全員が知っている…
あのころのことに、ふと思いを馳せる。 窓ガラスにおでこと鼻をぴったりくっつけて、外を覗いた初雪の朝のこと。 庭に出したビニールプールで、犬と一緒にはしゃいだ夏の午後のこと。 漬け込みに一晩、焼き上げるのに数時間かかるチキンを一瞬でたいらげてし…
「お客様は、いつだって突然やってくる。 だから、いつやってきても問題ないようにしておくのが、 あるべき暮らしというものでしょう?」 (江國香織 『すきまのおともだちたち』 ※うろ覚え) --- 私の生まれ育った家は、来客の多い家だった。 父の師匠とそ…
ここ2週間ほど、たのしむ、ということが出来なくなってしまっている。 たのしむのにはエネルギーが要るのだ。 なにごとも、自分からたのしもうとしないことには、本当にたのしくは感じないから。 こういうことは今までにもあって、 そのたび、何らかのきっか…
料理に使った鍋を洗っていたら、 ふと、おままごとが大好きだった幼少期を思い出した。 幼稚園の教室でも、園庭のお砂場でも、家でも、 どこでだっておままごとをしていた。 おもちゃの茶碗に、お砂場の砂を入れて料理に見立て、 摘んできた葉をあしらったり…
『 ふうせん が ふくらんだ。 ゆめも ふくらんだ。 ふうせん パンッ と われちゃった。 おきたら ゆめも われちゃった。 』 これは私が小学校低学年のときにつくった、詩の真似事みたいなもの。 たいした出来でもないけれど、なぜか今になっても覚えている。…
人生において、かつて一瞬だけすれ違った人のことを、折に触れて思い出す。 ただ一度目が合っただけ、ただ一度言葉を交わしただけ。 でもその印象が、長く伸びる夕方の影のように、 いつまでも心にまとわりついている。 あのときの気持ちに名前をつけること…
部屋の、模様替えをした。 数年前、映画「恋する惑星」を見てから、 部屋の模様替えをするときはいつも、The CranberriesのDreamsをかける。 「恋する惑星」で、フェイ・ウォンがトニー・レオンの家の中を 勝手に模様替えするシーンの曲だ。 (映画版は香港…
ツクツクボウシが鳴かない夏だ。 私にとってミンミンゼミは盛夏の象徴、 ツクツクボウシは晩夏の象徴だ。 例年であれば、7月下旬から8月初旬のいちばん暑い時期にミンミンゼミが隆盛を極め、 それに重なるように、8月中旬頃からツクツクボウシがさかんに鳴き…
答えよりも、問いのほうが好きだ。 それは例えば、印象派の絵画に似ている。 また例えば、未完の物語に似ている。 抽象が具象になる一歩手前、 すべての伏線が回収される一歩手前、 解決が与えられる、一歩手前。 その、一歩手前においてだけ、 私たちの脳内…
久方ぶりに、手紙を書いた。 便箋というものが好きで、 気に入ったものを見かけるたびに購入していたら、けっこうな数になった。 手紙は、そう頻繁に書くものではないけれど、 だからこそ、これぞという便箋を選びたい。 手紙を送る相手の好みや、相手との関…
食べ物のストック、という概念が好きだ。 冬眠、巣ごもりのために、いそいそと身の回りを整えていくような、 そんな幸福なイメージがあるからだ。 たとえば、箱買いしたアイスクリーム。 いただきものの、缶入りのビスケット。 たくさんつくって、冷凍してお…
最近、街をよく散歩する。 近所に哲学の道みたいな場所があれば良いのだけれど、 そうもいかないので、たいていは住宅街を歩く。 日中は暑いので、晩ごはんを食べてから、9時とか10時とかの時間帯にでかける。 その時間帯の住宅街は、生活の気配に満ちている…
明るいさよならを、言える人になりたい。 願わくば、お互いにありがとうと言って、笑顔のまま踵を返せるような。 悲しみに向き合いたくないあまりに、さよならを言えないままになることが とても、とてもよくあって、 それはたぶんある意味では、悲しみとす…
カーテンコールが好きだ。 敵同士だった人たちが手に手をとり、 凶弾に倒れてしまった人が生き返る。 劇中の悲しみは乗り越えられ、憎しみは浄化され、 ひたひたとした満足感だけがそこに残る。 普段は物語の世界にばかり憧れて、自分の生きる現実世界に絶望…
学生時代、何度か車で遠出をした。 たいていは旅行だ。数人の友人と出掛けることが多かった。 当時、音楽関係のサークルに所属していたので、 友人にも音楽好きが多く、車で遠出するときには、1人1枚ずつ お手製のコンピレーションアルバムを持参するのがお…