2020/08/29
料理に使った鍋を洗っていたら、
ふと、おままごとが大好きだった幼少期を思い出した。
幼稚園の教室でも、園庭のお砂場でも、家でも、
どこでだっておままごとをしていた。
おもちゃの茶碗に、お砂場の砂を入れて料理に見立て、
摘んできた葉をあしらったり。
こっそり花壇から失敬してきたツツジで色水をつくってカップに入れ、
ジュースに見立てたり。
あのころ、大人たちの営む暮らしは、とてもとても輝いて見えた。
かつて憧れた暮らしを、今の私は日々あたりまえにやっている。
それにもかかわらず、大人になってしまったらしまったで、
鍋を洗うのが面倒だなんて思っているのだから、
つくづく我儘な生き物である。
何かができるようになる前は、
それさえできるようになればすべてが良くなるはずだとか、
何かが決定的に変わるはずだ、なんて思ってしまう。
けれど実際、できるようになった先に存在するのは、
それまでと大して変わりばえしない、地続きの日常だったりするのだ。
だから、自分の歩みを客観的にみてみることは、とてもむずかしい。