ポール・マッカートニーの曲 ”fine line”の歌詞にこんな一節があって、 10年以上前に聴いて以来、ずっと頭の片隅に残っている。 There is a long way between chaos and creation. 混沌は創作の母だが、 混沌を混沌のままアウトプットするだけでは、それは作…
さて、ようやく夏である。 空が本来は青かったこと、もう少しで忘れるところだった。 家からすこし足を延ばしたところに、原生林が残る森がある。 森を一回りして抜け、ひと気がないけれど立派なお寺へぶらりと向かう。 こうして散歩のために外に出たとき、 …
余り疲れたらしばらくのあいだ路傍の石に腰をおろして行き過ぎる人を眺めてみよう君が休んでいるあいだも彼らがそう遠くには行かないことがわかるであろう (ツルゲーネフ) --- 子どもの頃から、自分だけの世界にこもりがちで、 まわりの変化についていけな…
本とおやつを持って屋根裏部屋にのぼり、きょうは午後じゅうをそこで過ごした。 なんだか、若草物語のジョーみたい。 この家を借りることにしたとき、決め手になったもののひとつがこの屋根裏部屋だった。 実際には部屋というより、たんなる収納スペースなの…
昔、ある女優さんが、こんなことを言っていた。 「私たちの仕事は、視聴者のみなさんが、かつて言えないままだった 『ごめんなさい』や『ありがとう』を、代わりに伝えることです」 私にとって小説を書くことも、おなじようなことである。 つまり、伝えられ…
「日常のすぐとなりにあるファンタジー」が好きだ。 そう思うようになったのは、17歳くらいのころ。 それまでは、どちらかというと、 もっと自分の日常から離れた世界観のファンタジーが好きだった。 遠く離れた異国、未来の技術、魔法、王子様、お姫様。 そ…
枕元に、たくさんの花が咲いていた。 トルコ桔梗、紫陽花、芍薬、藤の花。 花々はやわらかな光をまとい、とても本当とは思えないくらい美しかった。 私は花々を眺めながら、 「こんなに美しい花がずっとここにあったのに、私は気づきもせずに、 何とつまらぬ…
読むときと書くときの視点の差、というものがある。 私は本を読むとき、たいていベッドに腰かけて読む。 このときの座面の高さは、だいたい床から30cm。 対して何かを書くときは、椅子に座って、テーブルに向かって書く。 このときの座面の高さは、だいたい…
昔、自分は目立ちたがり屋なのだと思っていた。 学校の授業で「この問題わかる人ー」と言われれば真っ先に手を挙げていたし クラスで演劇をやることになれば、とりあえず主役に立候補していたからだ。 しかし今になって考えてみると、私は目立つのも注目され…
所用で、山深くに出掛けていた。 霧深い森を抜けて、日常へ戻ってきたのが、昨日の夜。 一夜明けた今日も、なんだか現実感がない。 変化に乏しい日常にかまけていると、 いつのまにかオートマティックモードで切り抜けていることに気づく。 日々起きることに…
真っ暗な中、ふと目をさました。 おそらく、真夜中ごろだと思う。 いつもなら、暗くても目をつぶっていても、 自分のいる寝室の様子を脳内に思い浮かべられるはずなのだけれど、 その時は、まるで自分がどこにいるのかわからなかった。 真っ暗な中にひとりき…
高原の朝のような、涼やかな風が吹いている。 昨日は蒸す一日だったから、夏が避暑地ならぬ避暑日を用意してくれたのかしら。 こんな日には久方ぶりに、温かい紅茶をおいしくいただける。 高原、といえば。 9歳の夏休み、家族旅行で清里に出かけたことがあっ…
「基本の自分」に立ち戻るための儀式、というものが私にはある。 基本の自分というのは、だいたい小学校に上がる前までの自分。 大きくなるうちに不本意ながら身についてしまった余分なもの(たとえば処世術みたいなね)をそぎ落とした、 自分の核みたいな部…
買い物ついでに、散歩にでかけた。 駅前の商店街には、暖かな橙色の光と、人々の笑いさざめく声。 そういえば金曜の夜なのだった。 ジョージ・オーウェルが、そのエッセイのなかで テレビやラジオ等の受動的な娯楽と対比するものとして、パブを挙げていた。 …
読書は、わたしの最大の趣味である。 しかし最大の趣味であるがゆえに、かなりの偏食であることも確かである。 「誰もが知っているような名作」みたいなものを実はあまり読んだことがなかったり、 よく知られた作家の著作でも、代表作ではなく一般的には小品…
久々に「かもめのジョナサン」を手にとって、ぱらぱらとページを繰りながら、 あれこれに考えをめぐらせる。 ・法や規律というのは、その決まりによって恩恵を受けている者にとっては遵守する意義があるけれども、恩恵を受けていない者にとっては無用であり…
小説を書いている。 世の中にあまたある物語の登場人物をシンプルに分類すると、こうなる。 まず、主人公。敵。そして味方。 主人公の味方になる人物というのは、大きく分けて2タイプあって、 ひとつは、主人公に情報を与えたりツールを与えたりする贈与者タ…
梅雨寒も影を潜め、朝晩も冷え込むことが少なくなってきたので、 衣替えならぬ、寝床替えを行った。 大きな毛布1枚と、厚い掛布団(ウォッシャブル)を1枚、洗濯。 浴槽に水をはり、洗剤を溶かして、裸足でジャブジャブ踏み洗いをする。 つめたい水をはった…
隣町の大きな図書館をそれはそれは愛している。 とにかく蔵書が素晴らしいの。 天井いっぱいの書棚を見上げると、 こんなにたくさんの未読本が、いつでも私を待っていると感じて、うれしい。 その愛する図書館が、コロナウイルスの影響で6月いっぱい閉館して…
自分の目指すものを、見失うことがよくある。 かんたんに例えると、 「美しさ」を目指すことそのものが目的になって、 やることなすこと全てが、美しく見せるための手段になっている、といった感じ。 これって逆にぜんぜん美しくないでしょう。 よくよく考え…
ひとの夢や情熱には、大敵がふたつある。 ひとつは絶望。 これは外からやってくることが多い。 なんらかの原因で、希望に沿った道が閉ざされたときなど。 もうひとつは「こんなことしてなんになる?」と、 ある日突然醒めてしまうこと。 こちらのほうが、た…
雨が降っている。 透明なゼリーの中に、街ごと閉じ込められてしまったみたい。 今日の雨は、梅雨らしい、しとしと雨ではない。 折に触れて浮かんでくるありがたくない思い出や、 心の中の滓のようなものものを、 一気に洗い流して、きれいさっぱり浄化してく…
前に進むことは、 過ぎ去った過去を否定することではない。 過去の感情の揺れ動き、昂ぶりが、 存在した事実が消えてなくなるわけではない。 しかし、過去を生きることはできないのだから、 今の自分に不要な過去の感情や執着には、 魔法をかけて、姿を変え…
ずっとずっと、 向こう側に行きたいと、思っている。 でも、ほんとうは向こう側なんて、どこにも存在しないのかもしれない。 玉ねぎみたいに、剥いても剥いても剥けた気がしなくて、 それを続けていると、最後には何もなくなってしまう。 たぶん、わかりやす…
歌を口ずさむのが好きだ。 ひとりでいるときに、自分のためだけに歌うのが好き。 そういうとき、歌われた歌は、ふわりと空気をただよって、 ただ風の中にまぎれてしまう。 だれかに何かを伝えるためでも、 だれかと何かを共有するためでもない。 ただの歌。 …
家の窓を開けていると、 気持ちのよい風とともに鳥の鳴き声が入りこんでくる。 鳴き声で判別できるのは、ウグイス、オナガ、ムクドリくらい。 たまにスズメ、そしてカラス。 たぶん、ほかにもいるのだろうけれど、私がわかるのはこれくらい。 私は鳥と親しい…
トラン・アン・ユン監督「エタニティ」を観た。 同監督の作品では「夏至」がとにかく好きで、 DVDも繰り返し繰り返し、味わうように見ている。 劇中では晴れている日が多いが、雨の日が似合う作品だと思う。 それも降り始めの、いろんな匂いと痕跡のある雨。…