2020/10/25

高畑勲さんが生前、インタビューの中で

「東京の街がいつまでたっても美しくならないのは、

東京を美しく描く画家がいないからだ」

といった趣旨のことを言っていた。

 

 画家が描き出す街。

それはもちろん、現実の街に似てはいるけれど、

普段私たちの目に映る街とは、どこかが違う。

たとえば。

日常にありふれているがために、特に注意を払っていないあれこれや、

特別な感慨なくやり過ごしてしまっている、一瞬。

そんなものにスポットライトが当たって、鮮やかに切り取られている。

画にするというのは、きっとそういうことだ。

 

そういえばミヒャエル・エンデも、

「一般の人たちが美を見出さないものから美を見出して、

一般に提示することが芸術家の役割だ」というようなことを言っている。

 

芸術家がその作品によって何かを切り取り、光をあてるということ。

それはきっと、未だ名前のないものに、名を与える行為に似ている。

 

人は、名前がないものを認識することができないし、

名前がないもののことを考えることもできない。

世の中に存在していることに、気づくことさえできない。

 

しかし、ひとたび「美」が名付けられると、

今度は身の周りの現実に、それと同じ「美」を見出すことができるようになる。

ほんとうはずっと、そこに「美」はあったのだけれど、

その「美」に名がついたことで、はじめて意識にのぼるようになる。

 

きっと、あらゆるものに、

目に映るものすべてに、美は宿っているのだろう。

その美に気づけるかどうかは、私たちの心ひとつなのだ。