2020/10/21
何度でも読みたい小説、というものがある。
間をおいて読み返すにせよ、何度も繰り返し読んでいるから、
当然筋は頭に入っている、結末もわかっている。それでも何度でも読む。
それはひとえに、その本の中の世界に遊びたいからだ。
こういう考えは、いわゆる「ネタバレ」というような概念とは対極にあるのだろう。
私は初めて読む本の場合でも、予め少し事前知識を入れておく。
いわば、すすんで「ネタバレ」をされにいく。
そうすると、筋に引き込まれすぎるのを防ぐことができ、
少し冷静にその作品の世界を見渡すことができる。
つまり、筋を追うのでいっぱいいっぱいのときには気づけない、
その世界の表現の鮮やかさ、濃やかさに身を浸すことができるのだ。
小説というのは、ひとつの世界の器である。
その世界で、例えば何も事件が起こらなくても、誰も変化/成長しなくても、
描き出されたその世界が美しければ、それだけで良いものだと思う。
ここで『草枕』から一節を引こうとして、
手元にある本を開き、該当の箇所を見つけついでに少し読んでいたのだけれど、
読んでいるうちに私の言いたかったことはすべてこの本に書いてある気がして、
尻切れだけれどここで書くのをやめにすることにした。
なんといっても、
『画だって話にしちゃ一文の価値もなくなるじゃありませんか』なのだ。