2020/09/01
「お客様は、いつだって突然やってくる。
だから、いつやってきても問題ないようにしておくのが、
あるべき暮らしというものでしょう?」
(江國香織 『すきまのおともだちたち』 ※うろ覚え)
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私の生まれ育った家は、来客の多い家だった。
父の師匠とその奥様、父の教え子さんたち、同僚の方たち、
自治会長さん、民生委員さんたち、ご近所の皆様、遠縁すぎて誰だかわからない親戚。
幼いころから、いきなりお客様が来ることも多かったので、
「お客様のときに子どもがするべきこと」をしっかり仕込まれていた。
お客様がみえたら、父や母が玄関で出迎え、応接室に案内する。
全員応接室に移動したのを確認したら、静かに玄関を見に行き、
履物の数からお客様の人数を把握する。
台所で人数分のお茶を淹れ、菓子器に菓子を用意、お盆に載せて応接室へ。
応接室の扉を開けて一礼、丁寧にご挨拶してからお出しする。
頻繁に来客があったので、相手が誰であろうと、こんな対応ができるようになった。
そして、「いつお客様がみえても慌てないように」家を整えておくことは、
母が常に意識していることだった。
たとえば、お茶やお菓子を切らさないようにとか、
隅々までお掃除をしておくとか、
お出しする茶碗やグラスやスリッパ等を綺麗な状態に維持しておくとか。
夫と一緒に暮らすようになって、
お客様が日常的に来ることが当たり前ではないことを、初めて知った。
夫の生まれ育った家は、来客はほとんどなかったし、
そもそも応接室がなかったという。
たしかに、結婚の挨拶のために夫の実家にお邪魔したとき、
通されたのはダイニングだった。
食事をする場所なので、応接するための場所ではないけれど、
そこは、のびのびとくつろげる、気持ちのいいスペースだった。
しかも、結婚式の二次会に行けるくらいの服装で出掛けた私たちに対し、
夫のお父さんはTシャツ姿。
少しびっくりしたけれど、肩の力がふうっと抜けて、とても楽になった。
私の母はけじめがどうとか、後でぶつぶつ言っていたけれど。
私の両親はきっと、形式にこだわりすぎるあまり、本質が見えなくなっている。
だって、家族だけのための完全プライベートゾーンに招き入れてもらったからこそ、
あの心地よさが生まれたのだ、きっと。
格式ばった対応なら、料亭やホテルでいくらでもしてもらえる。
普通のおうちだからこそできる「もてなし」というものを、そこで初めて目にした。
「気軽さ」や「親密さ」と
「雑」や「手抜き」とを分かつのは、
結局は形式ではなくて、もてなす側の心のありようなのだろうと思う。