2021/03/04

「移動すること」が苦手で、それはおおかた乗り物酔いをするせいだ。

自家用車、バイク、バス、電車、飛行機、そして船。

身近にある乗り物のおよそすべてに酔う体質で、

しかも一度酔ってしまうと、乗り物から降りてもその日じゅうはずっと気分が悪い。

酔い止めを飲むと、今度は倒れそうなほどの眠気に襲われる。

気持ちの良い眠気ではなくて、徹夜明けのような疲労まじりの重たく不快な眠気。

そんな調子だから、遠出や旅行をした先で楽しむことはとてもできない。

 

 

それでも、旅行好きな母につきあって、たまに遠出をすることはある。

そういうときは往復路の移動だけ一緒に行動し、現地での数日は別行動にする。

乗り物にも酔わず活動的な母は、現地からさらに乗り物に乗って観光地に繰り出す。

乗り物に酔う無精者の娘は、現地では宿からほとんど動かない。

窓の外を眺めながらお茶を飲んだり本を読んだり。

たまに思い立って宿の中を探検したり、宿周辺をちょっと散歩したりするくらい。

かつては、そんな過ごし方について、

「せっかく遠出してきたのにもったいない」という後ろめたさがあった。

でも今は、いつ誰に押し付けられたものだかも知れない価値観からくる非難を

頭から追い出すことができるようになって、

遠出をすることがすこし楽になった。

 

「観光」なのだから、見知らぬ土地での光を観られればそれで良いのだ。

そこでは日差しがどんなふうにきらめくのか、

どんな風が吹いて、どんな温度の雨が降るのか、

そこでは世界がどんなふうに見えるのか。

それさえわかればじゅうぶんだと、今は思うようになった。

 

私の知っているのは、自分の足で歩いていける範囲の、

とてもとても狭い世界のことだけだ。

それでも、それだからこそ、

私は自分のいる場所を、世界でいちばんの場所だと信じることができる。