2021/03/01

道を覚える、ということがどうにも苦手で、

一度行った場所に二度と辿り着けないことがよくある。

たいてい、ひとりで歩いているときに偶然見つけた場所で、

記憶を共有する証人がいないものだから、

時間が経つにつれて、本当にあった場所なのかどうかすらあやしくなってくる。

 

加えて今住んでいる街は、たとえ駅前であっても、

シャッターの下りた細い商店街や、薄汚れた暗い路地裏なんかがたくさんある。

道が4叉、5叉に分かれて入り組んでいるうえ、道自体もくねくね曲がっていて、

北に向かっていたつもりが、気づくと西へずれていたり。

そんなふうだから、ふらふらと歩いているうちに、

見たこともない風景のなかに立っている自分に気づくことがしょっちゅうだ。

 

そんな街で、数年前に偶然見かけたものが、今も心にひっかかっている。

それは円筒型の古いポストで、細い袋小路の行き止まりにあった。

なんとそのポストは、行き止まりのほうを向いて立っていた。

差し出し口のすぐ前は堅牢なコンクリート塀で、

差し出し口から塀までは10cmもなかった。

かつてはこのポストも路地に面していたはずだが、

区画整理か何かで道ごとなくなってしまったのだろう。

これでは集配どころか、投函すらままならないだろうと思うのに、

ポストにはしっかり、集配時間の書かれた紙がテープ留めされていた。

現役なのだ。

 

このポストにねじ込まれた郵便物は、いったいどこに届くのだろう。

ふと、そんなことを思った。

もしかして、かつてこのポストがあった路地、

それが存在していたころの時代に届いたりするのだろうか。

その路地も、そこに住んでいた人たちも、彼らの生活も、

今はどこにもなくなってしまったのに。

 

数日後、思いたって手紙を書いた。

もちろん、あのポストに投函するためだ。

82円切手を貼った手紙を握りしめて、おぼろげな記憶をたよりに、

曲がりくねった駅前の道を進む。

いくつもの角を曲がり、いくつもの砂利を蹴飛ばしたけれど、

あの袋小路は見つからなかった。

でも、見つからないほうがよかったのかもしれないと、

今は少しだけ安堵している。