2020/07/07

小説を書いている。

 

 

世の中にあまたある物語の登場人物をシンプルに分類すると、こうなる。

まず、主人公。敵。そして味方。

 

主人公の味方になる人物というのは、大きく分けて2タイプあって、

ひとつは、主人公に情報を与えたりツールを与えたりする贈与者タイプ、

もうひとつは、物語構造上において何らかの寄与をするわけではないけれど、

主人公の隣にいつもいる、相棒タイプだ。

 

私は筋を考えてから登場人物を考えるタイプなので、

贈与者タイプのキャラクターはスムーズにつくれる。

主人公の現在位置と目的が明確になれば、

おのずと主人公に足りないものが明確になるからだ。

しかし、相棒タイプのキャラクターにどう動いてもらうかは、

考えあぐねることが多かった。

最悪、いなくてもいいか、くらいに思っていた。

 

そもそも、主人公を目的に導くことにおいて何ら寄与しないにもかかわらず、

わざわざ小説に登場させる意味が、よく分かっていなかったのだ。

それは結局、書いている私自身が、自分の人生において

相棒タイプの人物に救われた経験に乏しかったからだ、とようやく気づいた。


ストレスフルな状況下において、そばにいてくれるということ、

ただ黙ってついてきてくれること。

悩みを聞いてくれるわけでも、正解を示してくれるわけでも、

目的に向かって導いてくれるわけでもないけれど、

ただ同じ状況の中にいて、その状況を共有してくれること。

主人公に、ひとりですべてを背負わせないこと。

そういうことひとつひとつが、どれだけ主人公を救うことか。

 

もしかしたら、相棒タイプの真価が発揮されるのは、

主人公が挫折しかけた時かもしれないね。

そう、王道小説にはかならず、主人公が挫折しかける場面があるのだ。

うまくいっている時には見えなかったものが、見えるとき。


私にとって小説を書くのはセラピーのような側面もあるので、

小説を完成させることよりも、

小説というかたちにすることによって、自分の心のねじれをみつめたり、

折り合いをつけたりすることを重要視している。

だから主人公はどうしたって自分の分身になるし、

書いている私が気づかないことは主人公も気づかないのだなあと、あらためて。