2020/07/09
読書は、わたしの最大の趣味である。
しかし最大の趣味であるがゆえに、かなりの偏食であることも確かである。
「誰もが知っているような名作」みたいなものを実はあまり読んだことがなかったり、
よく知られた作家の著作でも、代表作ではなく一般的には小品扱いされるものを座右に置いていたりもする。
多分に個人的なのだ。
趣味とはそういうものだと言ってしまえば、それまでだけれど。
何度か、ちょっとした義務感を起こして、
「名作」と言われるものを片っ端から読んでみたことがあるけれど、
どうにも私にはしっくりこなかった。
まあ、名作だけを読むために生まれてきた人間ではないのだから、
しかたのないことだ。
個人的な観点からあつめた蔵書を眺めてみると、
私はどうも「物語じみたエッセイ」が好きなようだ。
小説家が書くエッセイには2種類ある。
ひとつは小説とはまったく趣の異なるもの、
もうひとつは小説なのか現実なのか判然としないようなもの。
私は圧倒的に後者を好んでいる。
結局のところ、他人の生活や思想、人生というのは
私からみればフィクションでもノンフィクションでもたいして変わりがないのだ。
ほんとうかどうかなんて、誰にもわかりようがないのだから。
それならば、小説的に美しいものを読みたいと、私は思う。
ではなぜ、小説でなくてエッセイなのか。
私は、物語の中の世界にいつだって憧れて、強烈に惹かれている。
だからこそ、その世界が現実のどこにも存在しないことに絶望している。
そんなのお伽噺の中だけ、世の中はそんなにうまくはいかないの。
人を無条件に信じるのはやめなさい。
現実をみなさい。
しかし、それが小説でなくてエッセイならば、
すくなくとも、その世界が、
私の住んでいる現実と、地続きであるはずだと思えるのだ。
私の現実がたとえ、灰色の日常であったとしても、
いつもの道から一歩外れれば、そこには極彩色の世界が広がっているのかもしれない、と。
この、ひとつの可能性が、
私の心を何度も何度も救ってくれている。
だから座右には、いつも、物語じみたエッセイがある。