2020/09/08
こどものころ、
「今わからないことも、きっと大人になったら全部わかる」
と思い込んでいた。
当時は、自分の外側に、大きくて絶対的な「正解」があるのだと思っていて、
大人を、そういう「正解」を知っている存在と見做していた。
うん、全員が知っているというのは言い過ぎかもしれないけれど、
それでも、「正解」にいたる筋道くらいは当たり前に辿れる存在だと。
実際に大人になってみてわかったのは、
全人類共通の「唯一の正解」なんて存在しないということと、
もし正解があるとすればそれは「自分にとっての正解」で、
だからもちろん自分の外側になんて存在しえないということ。
大人になってわかったことが、結局「わからない」ということだなんて、
当時の私が聞いたらどんなふうに思うかしら。
あのころの私が知りたかったこと。
正しさとは何で、死ぬとはどういうことで、愛するとはどういう心の働きなのか。
そういう、ほんとうに大切で、ほんとうに知りたかったことは、
未だにわからないままだ。
2020/09/07
あのころのことに、ふと思いを馳せる。
窓ガラスにおでこと鼻をぴったりくっつけて、外を覗いた初雪の朝のこと。
庭に出したビニールプールで、犬と一緒にはしゃいだ夏の午後のこと。
漬け込みに一晩、焼き上げるのに数時間かかるチキンを一瞬でたいらげてしまった、
パーティの夜のこと。
いまだって、同じことはできる。
でも、その行為の前後にかかる手間を考えてしまうと、
一歩前のところで躊躇してしまうし、一歩踏み出せたとしても全力で楽しめない。
あの無垢で突き抜けた楽しさは、知恵の実を口にする前の特権だったのだろう。
その実をお腹の中におさめているからこそ見えるもの、
得られるものも、もちろんあるわけだけれど、
実を口にするタイミングは選びたかったなと、思ったりするのだ。
だってあの実は、かじった時の感触も味も、香りもなんにもなく、
ある日とつぜん、胃袋の中で存在を主張しはじめたのだ。
夜、私が寝ている間に、勝手に口の中に飛び込んだのかもしれない。
これだから夜は、油断ならない。
2020/09/01
「お客様は、いつだって突然やってくる。
だから、いつやってきても問題ないようにしておくのが、
あるべき暮らしというものでしょう?」
(江國香織 『すきまのおともだちたち』 ※うろ覚え)
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私の生まれ育った家は、来客の多い家だった。
父の師匠とその奥様、父の教え子さんたち、同僚の方たち、
自治会長さん、民生委員さんたち、ご近所の皆様、遠縁すぎて誰だかわからない親戚。
幼いころから、いきなりお客様が来ることも多かったので、
「お客様のときに子どもがするべきこと」をしっかり仕込まれていた。
お客様がみえたら、父や母が玄関で出迎え、応接室に案内する。
全員応接室に移動したのを確認したら、静かに玄関を見に行き、
履物の数からお客様の人数を把握する。
台所で人数分のお茶を淹れ、菓子器に菓子を用意、お盆に載せて応接室へ。
応接室の扉を開けて一礼、丁寧にご挨拶してからお出しする。
頻繁に来客があったので、相手が誰であろうと、こんな対応ができるようになった。
そして、「いつお客様がみえても慌てないように」家を整えておくことは、
母が常に意識していることだった。
たとえば、お茶やお菓子を切らさないようにとか、
隅々までお掃除をしておくとか、
お出しする茶碗やグラスやスリッパ等を綺麗な状態に維持しておくとか。
夫と一緒に暮らすようになって、
お客様が日常的に来ることが当たり前ではないことを、初めて知った。
夫の生まれ育った家は、来客はほとんどなかったし、
そもそも応接室がなかったという。
たしかに、結婚の挨拶のために夫の実家にお邪魔したとき、
通されたのはダイニングだった。
食事をする場所なので、応接するための場所ではないけれど、
そこは、のびのびとくつろげる、気持ちのいいスペースだった。
しかも、結婚式の二次会に行けるくらいの服装で出掛けた私たちに対し、
夫のお父さんはTシャツ姿。
少しびっくりしたけれど、肩の力がふうっと抜けて、とても楽になった。
私の母はけじめがどうとか、後でぶつぶつ言っていたけれど。
私の両親はきっと、形式にこだわりすぎるあまり、本質が見えなくなっている。
だって、家族だけのための完全プライベートゾーンに招き入れてもらったからこそ、
あの心地よさが生まれたのだ、きっと。
格式ばった対応なら、料亭やホテルでいくらでもしてもらえる。
普通のおうちだからこそできる「もてなし」というものを、そこで初めて目にした。
「気軽さ」や「親密さ」と
「雑」や「手抜き」とを分かつのは、
結局は形式ではなくて、もてなす側の心のありようなのだろうと思う。
2020/08/30
ここ2週間ほど、たのしむ、ということが出来なくなってしまっている。
たのしむのにはエネルギーが要るのだ。
なにごとも、自分からたのしもうとしないことには、本当にたのしくは感じないから。
こういうことは今までにもあって、
そのたび、何らかのきっかけ、もしくは時間が解決してくれていたはずだけれど、
毎回、これはもうダメかもしれない、もう立ち直れないかもしれない、
という気持ちになってしまう。
こういうときに、無理に自分を鼓舞しようとすると、ろくなことがない。
たとえば、良い刺激を受けてやる気を出そうと出掛けた結果、
他人と自分とを比較してしまって、さらに塞ぎ込んでしまったりする。
道端の草花を眺めて、ふかふかの布団でぐっすり寝て、
またエネルギーの満ちた状態になるのを、ゆっくり、期待しすぎずに待ちましょう。
私には私にしかないエネルギーがあるはずで、
それは私だけが取り戻せるもののはずだから。
2020/08/29
料理に使った鍋を洗っていたら、
ふと、おままごとが大好きだった幼少期を思い出した。
幼稚園の教室でも、園庭のお砂場でも、家でも、
どこでだっておままごとをしていた。
おもちゃの茶碗に、お砂場の砂を入れて料理に見立て、
摘んできた葉をあしらったり。
こっそり花壇から失敬してきたツツジで色水をつくってカップに入れ、
ジュースに見立てたり。
あのころ、大人たちの営む暮らしは、とてもとても輝いて見えた。
かつて憧れた暮らしを、今の私は日々あたりまえにやっている。
それにもかかわらず、大人になってしまったらしまったで、
鍋を洗うのが面倒だなんて思っているのだから、
つくづく我儘な生き物である。
何かができるようになる前は、
それさえできるようになればすべてが良くなるはずだとか、
何かが決定的に変わるはずだ、なんて思ってしまう。
けれど実際、できるようになった先に存在するのは、
それまでと大して変わりばえしない、地続きの日常だったりするのだ。
だから、自分の歩みを客観的にみてみることは、とてもむずかしい。
2020/08/27
『 ふうせん が ふくらんだ。
ゆめも ふくらんだ。
ふうせん パンッ と われちゃった。
おきたら ゆめも われちゃった。 』
これは私が小学校低学年のときにつくった、詩の真似事みたいなもの。
たいした出来でもないけれど、なぜか今になっても覚えている。
中断してしまった夢のつづきは、一体どこに行くのだろう。
たとえば、目覚まし時計に起こされて。
たとえば、何気ない一言に心を折られて。
今もふと、そんなふうに思うときがあるからかもしれない。
2020/08/24
人生において、かつて一瞬だけすれ違った人のことを、折に触れて思い出す。
ただ一度目が合っただけ、ただ一度言葉を交わしただけ。
でもその印象が、長く伸びる夕方の影のように、
いつまでも心にまとわりついている。
あのときの気持ちに名前をつけることができないから、
いつまでたっても、すれ違った場所から動けないのだろうと思う。
まるでそこで待っていれば、いずれまたその人がやってくると信じているかのように。
すれ違ったのだから、相手は自分と逆の方向に進んだはずだ。
だから、同じ場所にとどまっている以上、また会うことなんてできるはずもない。
それがわかっていてなお、そこから動くこともできず、
かといって相手の背中を追いかけることもできない、
そんな不甲斐ない自分。
折に触れて思い出すのも、暗い影になってまとわりついているのも、
結局のところ、自分の不甲斐なさなのかもしれない。